磨墨



郡上の踊り助平で知らない人はいないと思います。
春駒の(郡上は馬どこあの磨墨の名馬出したも気良の里)で有名な名馬です。(*^_^*)
郡上の明宝(気良)で産まれ、鎌倉幕府の将軍、源頼朝の愛馬となり、頼朝より重臣の梶原景時が賜り、木曽義仲との宇治川の戦いでは、景時の長男源太景季が、同じく頼朝より名馬生食を賜った佐々木四郎高綱と先陣を争った名馬磨墨。
この磨墨なんですが、産まれた所は有名なんですが、亡くなった所はあまり知ってる人いないんじゃないかな? 実は結構近くで亡くなってるんですよ。
源頼朝の死後、幕府の内乱により、鎌倉から追放、京に逃げる梶原氏、親族、郎党共にことごとく悲惨な最後を遂げたそうなんですが、この時景時の一子豊丸だけが乳母のお隅の方に守られて、お隅の方にゆかりのある羽黒という地に磨墨を伴って落ち延びました。その後豊丸は成人し、この地に羽黒城を築き、梶原景親を名乗った。お隅の方はこの地で亡くなり、磨墨も同じ頃にこの地で亡くなりました。
そう、この羽黒こそが名馬磨墨の亡くなった所なのです。羽黒って?・・・今の愛知県犬山市です。今でも犬山市民文化会館の南に磨墨塚史跡公園があり、そこに磨墨塚なる名馬のお墓があるのです。(住所は何と犬山市羽黒磨墨です。)
尚、磨墨は東京都の大田区南駒込(昔の駒込村)の産まれで、この地に戻った後、誤って平張谷という所に落ち亡くなったという説もあり、東京の大田区文化の森から馬込にむかった坂を登った辺りにも磨墨塚があるそうです。(;^_^A
でも、やっぱり踊り助平は磨墨といえば郡上産まれで犬山で亡くなったと思いたいよね!!(≧▼≦)
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